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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)9061号 判決

(第七、〇九八号事件)原告 高木嘉一郎

(第九、〇六一号事件)原告 井上要 外一名

被告 新東京タクシー株式会社 外一名

主文

被告両名は第七、〇九八号事件原告(以下「原告」という。)高木嘉一郎に対し、各自金三十二万七千三百十八円及びこれに対する昭和二十七年十月二十二日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。被告両名は第九、〇六一号事件原告(以下「原告」という。)井上要及び原告井上ミイのそれぞれに対し、各自金四十七万五千七百八十三円及びこれに対する昭和二十七年十二月二十四日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告等のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分しその一を原告等、その余を被告等の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、原告高木嘉一郎に於て金五万円、原告井上要及び同井上ミイに於て各金七万円の担保を供するときはそれぞれ仮に執行することができる。

事  実〈省略〉

理由

被告会社が自動車運送業を目的とする会社であつて、被告武田信一がこれに雇われ自動車運転の業務に従事していたこと被告武田信一が昭和二十七年二月二十六日午後六時頃被告会社の自動車を運転しその業務に従事中東京都渋谷区内日本国有鉄道渋谷駅前交叉点に於て横断歩道上を通行中の原告高木嘉一郎及び訴外井上英子に対し自動車を衝突させ、原告高木に対し頭蓋骨々折兼頭蓋腔内出血、両上膊骨々折左鎖骨々折、両肋骨々折兼肋膜損傷等の負傷、訴外井上英子に対し頭腔内出血等の重傷を負わせたことは当事者の間に争がない。

而して、証人青木仁平の証言並びに原告高木嘉一郎、同井上ミイ及び被告武田信一各本人尋問の結果に真正の成立を認むべき甲第一号証から同第三号証まで、成立に争のない甲第六号証の一から五までを併せ考えると、被告武田信一は同日渋谷区道玄坂上附近まで乗客を送り届けた後折返し同坂を通過し国鉄渋谷駅方面に向うため下り勾配の同坂上を自動車を運転進行中、同坂頂上より約三、四十米を下つた附近に於てブレーキの故障により制動の機能を失い、そのまま車の隋勢により同坂を下方に進行し、遂に同坂下端に存する前記渋谷駅前横断歩道に突入右事故を発生したこと、右ブレーキの故障はシヤフトの折損に基因するものであつて、オイルブレーキは勿論エンジンブレーキもサイドブレーキも共にその機能を喪つたものであること、被告武田は右故障発見後附近の電柱に車体を衝突させ急停車しようとしたが、歩道上に通行人があつたため危害を生ずることを顧慮してこれを思い止まり、更に車道上に設けられた安全島に衝突させようとしたが附近に通行人があつたためこれを果し得ず突嗟にハンドルを右転しその右方を通過しそのまま通行を続け、前記横断歩道の手前停止線上に停車中であつたバスの車体の後部に衝突させようとしたがそこにも人が居たので急拠ハンドルを右に切り換えバス車体の右方を接触しながら通過し、遂に自動車を停止させ得ないまま横断歩道に突入したものであつて、その際警笛を吹鳴していなかつたこと等が認められる。

ところで、原告は右ブレーキ故障の原因たるシヤフトの折損は事前の車体検査により発見し防止し得べきものでこれをなさなかつた点は被告の過失である旨を主張するけれども、右折損が事前の検査により発見し得るものである事実はこれを認むべき資料がなく、却つて、被告武田が同日朝通常の車体検査を実施した際に何等の異状を認めず、その後引き続き右自動車を運転し事故発生直前までブレーキに何等の障害を認めなかつたことは同被告本人の供述により認め得るところであるから、原告の右主張は直ちに首肯し難い。然しながら、前顕各証拠によれば、被告武田がブレーキの故障を発見したのは道玄坂下り道に進入後約三、四十米進行した頃であつて、同所から前記横断歩道までは約三百米の距離を存することが認められるからその間避譲措置をとり得る余裕は十分あつたものと思われ、殊にブレーキの故障を発見した直後に於ては己むを得ない非常措置として直ちに把手を左右何れかに急転し適切な操縦を行い路傍の電柱その他の障害物に車体を接触せしめたならば急停車することは比較的容易であつたと認められる。もとより、右道玄坂附近が都内屈指の繁華街であつて商店が密集し人車の往来が頻繁であることは公知の事実であるが、車道上を進行中の被告武田操縦の自動車が、このような非常措置をとる余裕がない程人車が密集しているものとは到底考えられず、また、此の場合と雖ども、車体の破損顛覆、建造物の破壊等何等かの損害の発生するのを避け得ないことは容易に推測し得るところではあるが、その損害は車体の速度が未だそれ程加速度を加えない間に於ては接触の目標物を選択することによりなお軽微に止め得たもと思われる。従つて被告武田は自動車運転者として当然このような措置をとるべき業務上の注意義務があつたのであるが、同被告は意外の故障発生に周章して事茲に出です、そのまま更に進行を続け車の加速度がいよいよ増加するに伴い漸くこのような非常手断を採ろうとしたが時既に遅く接触の目標物附近にはいずれも人影があり適当な障害物を見出すことを得ず、加速度の増すに従つて車道上の人車を回避することにのみ心を奪われ、最後に停車中のバスの車体後部に衝突しようとしたが附近に通行人がいたためこれをも果すことを得ず突嗟にこれを避けて右方に迂廻しながらバスを追越し、横断歩道上に突入したものであつて、この場合においても警笛を連続吹鳴し、異状事態の発生を通行人に知らしめたならば、なお、被害を軽微に喰い止めることができたであろうが、被告武田は事態の緊迫に狼狽し警笛の吹鳴も怠り全く何等の警戒心もなく歩行中の前記被害者等に衝突したものである。

してみれば、右事故は被告武田が被告会社の事業執行中、前記のような操車の適切を欠き、警笛吹鳴を怠つた業務上の過失により惹起したものというべく、同被告はこれにより生じた損害を賠償すべきは勿論であつて、その使用者である被告会社も同被告の右不法行為につきこれと連帯して賠償の責に任ずべきものといわなければならない。

よつて原告主張の損害の額について按ずるに、

一、原告高木分

(一)  前顕甲第一号証から第三号証まで、成立に争のない甲第四号証の一、二に証人高木仁平の証言及び原告高木嘉一郎本人尋問の結果を併せ考えれば、原告高木は

(イ)  原告高木の勤務する日本国有鉄道公社の職員賃金規定によれば、休養期間中休養の日から三ヶ月間は本給及び勤務地手当の合計金額を支給され、その後三年間は休職となり休職期間中最初の一年間は右合計金額の八割を支給されるが、その後は無給となり、全期間を通じ加算給及び割増賃金は支給されない定めとなつており、原告高木は本件事故発生後昭和二十八年五月二十六日まで所定の有給期間全期間を休業したため右規定の適用を受けたこと、他方原告高木は事故発生当時の本給及び勤務地手当の合計額は一ヶ月金八千六百四十円であり、加算給及び割増金の事故発生前二ヶ月間の平均額は金二千百六十三円であるが右金額は原告高木が通常支給を受け得る金額であることが認められるから、同原告は昭和二十七年二月二十七日から昭和二十八年五月二十六日までの期間に合計金五萬三千百八十一円の得べかりし利益を喪失し

(ロ)  前記事故による傷害のため直ちに東京都渋谷区代々木富ヶ谷町千五百四十番地井上外科病院に入院し、同年三月二十八日まで同病院に於て治療を受け、その後は同区千駄ヶ谷町九百二番地東京鉄道病院に転院し同年九月十四日まで入院治療の上、同日退院後もなお同病院に通院治療中で退院後一年間は継続通院を要する見込であり、その間被告武田が支払つた金十五萬円(右金額を支払つたことは当事者の間に争がない。)を入院費用の一部に充当したほか、なお、(1)入院に伴う雑費合計金二萬四千百三十七円、(2)家族の交通費合計金一萬三千六百五十円、以上合計金三萬七千七百八十七円を支出し、更に予後の療養のため一日につき(3)通院バス往復代金三十円、(4)鶏卵、果物等滋養物代金七十五円、(5)ラヂウム治療代金四十円(二日に一回金八十円)、合計金百四十五円を要し、その一年分は合計金五萬二千九百二十五円(このうち原告の請求額は金三萬六千三百五十円)となることが認められる。原告は、なお、入院に伴う雑費の一部として転院の寝台車料金六百円及び衣類損傷による損害として合計金二萬五百七十円をそれぞれ請求しているけれども、転院の運賃は被告等から支払を受けた金額の一部をもつて支払に充てられたことは原告の自陳するところであつて、他に右費用の支出を要したことを首肯するに足る資料は存せず、衣類損傷による損害額を認めるに足る証拠も存しないから右金額はいずれもこれを認め難い。また、原告は身体傷害後胎症につき労働基準法別表第一の第五級に準じ損害の補償を求めるところ、原告が本件負傷の治癒後なお障害を止めることは後に述べるとおりであるが、右補償基準は労働者の業務上の負傷又は疾病がなおつた後身体に障害が存する場合につき使用者の行うべき補償を定めるものであつて、本件の場合直ちにもつてこれを基準として採用し難く、他に右傷害後胎症による損害額を算定するに足る資料は存しないから、右身体傷害後胎症を存する事実は次に述べる慰藉料額の算定に参酌し得る止まり、これに基く損害賠償の請求は肯認し難い。経局原告高木の蒙つた物的損害額は合計金十四萬三千八百九十三円と認めるのを相当とする。

(二)  次に、前顕各証拠によれば、原告高木嘉一郎は訴外高木仁平の二男であつて、同訴外人が病弱のためその長男及び二女とともに一家の生計を支えていたが、本件事故により前記の如く重傷を負い長期に亘る療養を要し、容態漸く軽快したものの、右上肢は掌指関節の自動運動全く不能であるほか、右前膊の回内は殆んど障害され、腕関節に於て背屈不能等の後胎症を存し、現在なを複視を訴え、右上肢の機能障碍は今後の治療により幾分軽快する状態で障碍が後胎するものと考えられ、前記休職期間の経過後一応復職はしたけれども従前の如き肉体労働には従事できないので雑役等をつとめ、行政整理等の場合は真先にその整理対象とされる可能性があることが認められ、以上認定の諸事実に前記被告の過失の程度を参酌総合すれば原告高木嘉一郎の慰藉料額は金二十萬円をもつて相当と認むべきである。

よつて、以上認定の物的損害のうち原告の請求額金十二萬七千三百十八円及び慰藉料金二十萬円合計金三十二萬七千三百十八円をもつて原告の被告等に対し請求し得べき損害賠償額と認める。

二、原告井上要及び同井上ミイ分

(一)  成立に争のない甲第六号証の五に原告井上ミイ本人尋問の結果を併せ考えると、訴外井上英子は前記受傷の結果昭和二十七年三月二十七日午前一時五分東京都渋谷区代々木富ヶ谷町千五百四十番地井上外科病院に於て死亡したが、同訴外人は、昭和二十四年四月以降凸版印刷株式会社に勤務し死亡当時は満二十歳で普通の健康体を有したことが認められるから、昭和二十六年七月調査による厚生省発表の統計によれば満二十歳ないし二十四歳の女子の平均余命は四二、六歳となつていること明らかな事実を参酌すれば、同訴外人は特段の事情のない限り今後なお少くとも五十歳まで三十年間は勤務を継続し報酬を得ることができたものと認めることができる。他面証人関谷松雄の証言により真正の成立を認める甲第七号証に同証言及び原告井上ミイ本人尋問の結果を併せ考えると、同訴外人は死亡当時毎月基本給金二千九百十円、物価手当金千四百五十五円、年功手当金六十円、外出手当平均四百五十円、合計金四千八百七十五円の俸給を得ていたが、年功手当は入社後満三年目からは月額金百円となり満四年目以降は年次毎に金四十円を加算されることとなつているほか、右会社に於ては昭和二十七年中に同年一月に遡つて基本給及び物価手当の合計金額につき女子平均八パーセントの一斉昇給が行われ昭和二十八年は同じく平均十パーセントの一斉昇給が行われ、訴外亡英子も右昇給の適用を受け得たものと認められる(将来引き続き毎年十パーセント宛の昇給が行われる旨の原告主張事実を認めるべき証拠は存しない。)ので、同訴外人の喪失所得額は昭和二十七年度に於て合計金五萬三千二百五十八円(五月以降の年功手当増額分及び遡及昇給差額二月分を含む。)、昭和二十八年以降は毎年六萬八千八百二十円と年次毎に加算せられる年功手当との合計額となるところ、東京都内に於て肉親の許から通勤し住居費用を要しない女子の必要生計費が月額約三千円を要することは顕著な事実であるからこれを右月収の五割相当とみて所得から差し引いた残額が同人の得べかりし利得というべく、結局右三十年間に得べかりし利得の総額は金百十二萬八千九百十九円(昭和二十八年度以降年功手当の加算は便宜上年初になされるものとして計算し、なお、計算の中途に生じた円位未満の端数切捨)となるので、更にホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除するときは、現在の手取額は金四十五萬千五百六十七円となり、この金額が訴外井上英子が即時に請求し得る喪失利益額というべく、原告井上要及び同井上ミイが同訴外人の死亡によりその遺産を相続したことは原告井上ミイ本人の供述によつて認め得るところであるから、原告等は被告等に対し右金額の各半額金二十二萬五千七百八十三円宛の債権を取得したものといわなければならない。なお被告武田信一が原告等に対し金二萬円を支払つたことは原告の自陳するところであるが、更に同被告が金六萬円を支払つた事実を認むべき証拠は存しないのみならず右金二萬円についても葬儀費用の一部に充当されたことが原告井上ミイ本人の供述により認め得るから右損害額の算定には算入しない。

(二)  次に、証人関谷松雄の証言に原告井上ミイ本人尋問の結果を併せ考えると、原告井上要は加藤発条株式会社の取締役、同井上ミイはその妻であつて、訴外亡井上英子は原告両名の四女で川村女学院を卒業後前記の如く凸版印刷株式会社に勤務していたものであるが、末子であつて原告等の鐘愛を受け幼時から日本舞踊を修め死亡の直前墨田劇場に於てその披露を行つたばかりであることが認められ、これに前記認定の諸事情を併せ考えれば原告等が同人を喪つたことにより蒙つた精神上の苦痛は各金二十五萬円をもつて慰藉されるものと認められる。

よつて以上合計金四十七萬五千七百八十三円をもつて原告井上要及び同井上ミイがそれぞれ被告等に対し請求し得べき損害賠償額と認める。

以上の次第であるから原告等の本訴請求中原告等が被告等に対し各右認定の賠償額及びこれに対する本件訴状送達後であること記録上明らかな原告高木嘉一郎につき昭和二十七年十月二十二日、原告井上要及び同井上ミイにつき同年十二月二十四日以降各支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める部分は正当として認容すべきも、その余の請求は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 江尻美雄一)

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